2011年4月16日土曜日

悪について戸惑い、考える


 このブログの本題ではありませんが、私の生活の中で、地域づくりにおける悪について考えることがありましたので、参考までに報告します。

 私は、趣味の散歩を花見川流域で行っています。散歩をICT化、高度化して、それをツールに地域の資産(宝)を見つけようとしています。その資産(宝)を使って、新たな地域づくり展開の方策を見つけようとしています。
 このような活動をブログ「花見川流域を歩く」で情報発信しています。
 
これまでの活動は順調でした。
 しかし、本川の散歩から支川の散歩の移り、その流域に陸上自衛隊習志野演習場を抱える高津川に足を踏み入れたとたんに、悪に出くわしました。敗戦時における旧軍の毒ガス兵器埋設という悪です。
 この悪はこれまでに社会の深い部分に悪い影響を及ぼしてきたように感じました。

 楽しいはずの趣味の散歩が悪の暗礁に乗り上げてしまい、どうしようかと暗澹たる気分で数日を無為に過ごしてしまいました。
 しかし、このブログで地域づくりの哲学を学習し始めたことを思い出し、この悪を学習対象にしてしまおうという考えに至りました。
 テキスト「ジオパークについて」の学習の中で、どのように悪が現れてくるのか、まだわかっていません。しかし、どこかで出てくるような予感がします。出てこなくても、どこかで自分で関連付けて、学習したいと思います。
 悪を直視し、悪を知ることによって、善とか地域づくりの理想とかの意味が浮き彫りになるかもしれないと思います。また、悪と善とは以外にも裏腹な関係かもしれないとも予感します。悪を哲学的、思想的な学習対象にしたいと思うようになりました。

 詳しくはブログ「花見川流域を歩く」2011年4月16日記事「北高津川流域紀行4 旧軍の悪」に書きましたので、興味ある方はご笑覧ください。

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