2011年9月13日火曜日

圧倒的な非対称とテロリズム

中沢新一著「圧倒的な非対称」1 圧倒的な非対称とテロリズム


書籍としての「緑の資本論」紹介はこのブログの5月27日記事でしました。
またそこに収録されてている「モノとの同盟」は5月29日記事(中沢新一「モノとの同盟」読後の感想1同2同3)で紹介しました。

ここでは書籍「緑の資本論」に収録されている論文「圧倒的な非対称-テロと狂牛病について」の感想をメモします。

論文「圧倒的な非対称-テロと狂牛病について」は*印で全体が3節に区分されています。
当方で勝手に次の小見出しをつけ、このブログの記事とします。
1節【圧倒的な非対称とテロリズム】
2節【狂牛病とテロの病根は同じ】
3節【狂牛病とテロが呼び覚ますもの】

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1節【圧倒的な非対称とテロリズム】

ア 要約
●貧困な世界と富んだ世界の圧倒的な非対称性がテロを招き寄せている。

●この圧倒的は非対称が生み出す絶望とそれからの脱却について、時代に先駆けて宮沢賢治が思考した。
宮沢賢治は人間の世界の非対称関係の根源的な原型が人間と野生動物の関係であると考えた。人間が火器を手にしてから、弓矢しか手にしていなかったときにかろうじて実現していた対称的関係が生まれえなくなった。近代の技術を身につけた人間が「富んだ世界」を享受し、野生動物は「貧困な世界」を生きなければならない。
宮沢賢治はこの状況を小説「氷河鼠の毛皮」に表現し、非対称を告発する動物が、人間に対するテロを実行するという題材に取り組み、非対称性の難問からの脱出を思考した。

●「夢や言い間違いを通して、抑圧されていた無意識が、強固を誇っていたはずの自我の内部に吹き上がってくるように、『貧困な世界』の意志はテロを通して『富んだ世界』の中枢に吹きつけてくるだろう。年中目覚めてばかりいる文明は、柔軟性を欠いてかたくなだ。たくさんの夢を見ること、たくさんの言い間違いをすすんでおこなうことが、文明にも必要なのである。それによって自我と無意識の問に通路が聞かれ、心の内部に対称性への変化が生まれるように、文明を構成する力の配置にも変化が生ずるだろう。テロリズムの悪夢は、私たちにそのことを気づかせる激痛をはらんだ覚醒の一撃ともなりうる。」

イ 感想
●引用はしませんでしたが、貧困な世界と富んだ世界の圧倒的な非対称性が9.11などのテロを招き寄せている様の記述は説得力あるものです。
●非対称の原型が人間と野生動物の関係にあるという視点が、おそらく著者に特有で独創性を感じます。哲学的な深さを感じ取るとことができます。テロと狂牛病を同じ文明病として扱うことになります。
●宮沢賢治の問題意識の深さに改めて気が付きました。
●9.11テロの意義を、意識と無意識の関係の中における「夢、言い間違い」に喩えて、現代文明に必要なものとし、それによって対称性への変化が生ずることを述べています。おそらく、読者に「著者はテロを擁護している」と誤解されないための最大限の表現配慮をした文章だと感じました。私は著者の言う通りだと思います。
(つづく)

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