2011年9月16日金曜日

魔術的思考の時代

緑の資本論1 魔術的思考の時代


この記事では、中沢新一著「緑の資本論-イスラームのために」を扱っています。
以下の目次に従って、順次その要約と感想を記事として掲載します。

緑の資本論-イスラームのために 目次
一 一神教をめぐる認知論的レッスン
1節【魔術的思考の時代】
2節【一神教の成立】
二 利子(利潤)を否定するイスラーム
1節【象徴界と現実界の一致】
2節【利子の厳禁】
3節【キリスト教のストッパー解除】
三 タウヒード貨幣論
1節【資本主義とイスラーム経済の差異】
2節【タウヒードの思考】
四 聖霊は増殖する
五 マルクスの「聖霊」
1節【「三位一体」のドグマ】
2節【一神教純正ドグマからの逸脱】
3節【クリスマスとラマダーン】
エピローグ スークにて

(*印で区分されているところを節とし、小見出しは当方で付けました。)

書籍「緑の資本論」の紹介はこのブログの5月27日記事「中沢新一著『緑の資本論』紹介」をご覧ください。

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一 一神教をめぐる認知論的レッスン
1節【魔術的思考の時代】
ア 要約
●一神教は自己増殖をおこなうものに対してつねづね警戒をおこたらない。特にユダヤ教とイスラームで著しい。

●ユダヤ教は初期の信仰が発達するさい、農耕民に囲まれていたことが、自己増殖するものに警戒心を育てた。(農耕民は魔術性を特徴とする豊穣の神々を祀っていた。農業と動物の家畜化により国家が生まれ、大帝国が成長した。人間の王は自然の豊穣の力を持つためには、動物の王と同格にならなければならず、動物と人間が合体したハイブリッドな神々が生まれた。こうした神々を崇拝し、それと一体となることで、国家権力にそなわった「超越性」を誇示しようとした。)

●この社会で奴隷であったユダヤ人は想像界で働く「超越性」を、根底から否定し去ろうと試みた。

●モーセの前に出現した神は「わたしはある。わたしはあるという者だ。」と言った。自分は「ヤハヴェ」という名前を告げた。(生成し、変化し、増殖をおこし、メタモルフォーシス(変身)をおこなう神でなく、「ある」としか言わない、いっさいのイメージを拒否し、名前だけをもった新しい神が出現した。)

●一神教が生まれても人類の生物的進化はないが、フォーカスの微小な移動がおこり、そこから「霊的」飛躍が実現された。
「自分たちの存在を特徴づけている流動的知性の働きの内部ないし奥に、変化しないもの、生成しないもの、増えないもの、減らないもの、条件づけられないもの、限界づけられないものを見出し、そこに横断性や変容性や増殖性よりもずっと根源的な「超越」のあり方を発見して、これを「一(いつ)」と言った。こうして人間は、流動的知性の内部にいっそう深く踏み込んでいくことになった。」

イ 感想
●動物の頭と人間の体をしたエジプトの神の意味がよくわかりました。

●そうした神々が信仰されていた大帝国で、抑圧されていたユダヤ人に一神教が生まれたという歴史の必然性を感じさせるストーリーも理解できました。

●想像界で働く「超越性」を根底から否定し、ずっと根源的な「超越」のあり方を発見して「一(いつ)」と言ったという部分の理解がわかったようで、わからないようで…。頭では分かっているが、体感レベルでしっくりこない状況です。肝心の部分についてさらに学習を継続したいと思います。
(つづく)

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