2011年9月22日木曜日

資本主義とイスラーム経済の差異

緑の資本論6 資本主義とイスラーム経済の差異

この記事では、中沢新一著「緑の資本論-イスラームのために」を扱っています。
以下の目次に従って、順次その要約と感想を記事として掲載しています。

緑の資本論-イスラームのために 目次
一 一神教をめぐる認知論的レッスン
   1節【魔術的思考の時代】
   2節【一神教の成立】
二 利子(利潤)を否定するイスラーム
   1節【象徴界と現実界の一致】
   2節【利子の厳禁】
   3節【キリスト教のストッパー解除】
三 タウヒード貨幣論
   1節【資本主義とイスラーム経済の差異】
   2節【タウヒードの思考】
四 聖霊は増殖する
五 マルクスの「聖霊」
   1節【「三位一体」のドグマ】
   2節【一神教純正ドグマからの逸脱】
   3節【クリスマスとラマダーン】
エピローグ スークにて

(*印で区分されているところを節とし、小見出しは当方で付けました。)

……………………………………………………………………
三 タウヒード貨幣論
   1節【資本主義とイスラーム経済の差異】
ア 要約
●イスラーム:利子(利潤)発生を倫理的禁止とし、資本主義の形成が長いことおこらなかった。(利子の発生を「分子レベル」で抑制した。)

●キリスト教世界:13世紀以降利子・利潤獲得の抑制を教会が急速に弱め、本格的な資本主義形成の道が開かれた。

●キリスト教が「金は金を生まない」(アリストテレス)という「自然主義」をもって利子・利潤に対した。(トマス・アキュナスなどの神学者一般の思考)

●この思考は400年後重農主義者にそのまま受け継がれていく。(価値を増やすのは、自然を耕作する農業だけで、神が与えたもうた「純粋な自然の贈与」が自然の増殖となって、人間にもたらされる。)

●重農主義者の思考はカトリック神学と同じ思考法である。(この世界に価値の増殖がおこるのは、ただ「神の賜物」が、経済回路を逸脱した自然と霊性における過剰分となって、「恩寵」として人間にもたらされるときだけである。)

●古典派経済学の骨格にトマス・アキュナスなどのスコラ学者の経済論が大きな影響を及ぼしている。(アダム・スミスの経済論の基礎は道徳哲学にあり、「自然法」を媒介として、滔々とスコラ経済理論が流れ込んできている。

●(以上から)西欧近代の経済的現実のなかに、スコラ哲学的に理解された一神教の構造が潜伏していることは、もはや疑いないだろう。

●ユダヤ教は増殖のアポリア[難題]を、魔術と多神教否定で乗り越えようとした。

●イスラームは利子厳禁とし、経済生活全般の実践的革新を図ろうとした。

●カトリック・キリスト教は、はじめ及び腰で反対し、次におずおずと容認し、ついには自ら生み出した鬼っ子によって大打撃を加えられた。

●資本主義推進の原理はカトリック神学の価値理論ときわめて類似の構造を持つ。(キリスト教的一神教と古典派経済学、さらには西欧における生産・流通・分配の構造そのものの間に深い本質的関係が存在しているのではないか。)

●イスラームとキリスト教、同じ一神教の二つの文明圏における、今日の「衝突」が意味するものを最大の深度で理解するためにも、この探求は重要なのである。

●イスラーム経済の貨幣論は一神教のイスラーム的理解である「タウヒード」の構造で組み立てられている。

●カトリック的貨幣論(ウスラと戦ったスコラ学、重農主義、古典派経済学、「資本論」を経て現在まで資本主義の内部で有効に作動している)は一神教のキリスト教的理解である「三位一体」の構造にもとづいて作動している。

●一神教の初期条件の違いが、一神教世界の内部に重大な差異を発生させている。(経済発展の初期段階におけるイスラームの絶対的優位、十字軍問題、近代における西欧資本主義の爆発的展開、イスラームの経済的劣勢、今日のグローバリズムの現実。)

イ 感想
●9.11テロに刺激されて、この書が生まれたということを、この節で改めて思い出しました。

●イスラームとキリスト教の増殖に対する考え方とその対応の差異が、今日のグローバリズム資本主義とイスラーム経済の劣勢を招いている。その差異を明らかにしていくことがこの書の目的であると宣言している節です。

●イスラームと西欧の経済力の違いが、一神教の(私など門外漢からみると)微細な差異に起因しているという指摘に鋭さを感じます。まるで遺伝子分析をしているような緻密な分析が歴史に加えられています。

●この小さな節だけを対象にしても、すべてのストーリーが中沢新一のオリジナルではないにしても、他の人の著作物パッチワークでは決しできない、著者の骨太な発想展開力に驚嘆します。マルクスまで登場させます。

(つづく)

0 件のコメント: